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ビッキーズ歴史

創設者メンバー 惣島雄二、伊藤康弘、脇田利幸の三人が発起人。

初代メンバー  惣島雄二(ショート)   伊藤康弘(サード)
        脇田利幸(センター)   上甲一雄(ピッチャー)
        横山秀樹(キャッチャー) 佐藤充(レフト)
        中野博之(ライト)    中西秀樹(セカンド)
        南野仁志(ファースト)   鶴羽有美(マネージャー)
        惣島里香(マネージャー)

(第一期)
1991年 (平成3年)
レッド・ビッキーズ誕生。昔テレビでしていた番組の弱小チームにちなんで命名する。
この時の設立費用は一人3~4万出して一式を揃えた。初戦、八尾の久宝寺緑地で
試合。道具揃っていなくて相手に借りて試合をする。ルールもよく知らないでやって
いた。なにせ野球経験者一人もいなかったので。先攻で0-30、二回コールド負け。
とても暑い日だった。日射病で倒れると思うくらい。打者は六人で終わり。佐藤だけが
バットに当てた。ピッチャーは上甲が投げていたが最後は伊藤が投げていた。
この時以来ずっと投げることになった。ストライクが入るという理由で。この時ほど
ひどい負け方はなかったと思う。これを体験しているメンバーは少し位の負けでは
へこたれないようになった。この経験があったからこそ今までやってこれたと実感する。
あと、池島の河川沿いのグランドでも試合する。大負けする。当時はすごく弱かった。
しかし動きは軽かった。雄二の動きが別人みたいな当時であった。

1992年 (平成4年)
年が明けて何試合かしたが、あまりにも弱かった為まったく勝てず、
段々と試合もしなくなり、とうとう休部する事となった。事実上、解散である。
試合数は約5戦、全敗という結果であった。
 

(第二期)
1994年 (平成6年)
当時、タクシー運転手だった雄二の「久しぶりにソフトボールしたいな!」の
一言がきっかけで、また活動を始める。最初に、雄二が東大阪ソフトボール連盟の
加入の話を決めた。それから、メンバー集め。昔のメンバーに声をかけたが、
数人しか無理だった。とにかくいろんな所からかき集めた。その時のメンバーに
道下篤史、脇田義弘も入っていた。東大阪での初戦はグリーンズとウルフとの対戦。
両方に負けた。でも、初めて試合らしい試合したと思う。特にグリーンズは
ビッキーズにとって一番のライバルになった。二回目の試合でビッキーズ初めて
試合に勝つ。その時の対戦相手はグリーンズだった。

2001年 (平成13年)
この頃から藤井寺の方にも顔を出すようになる。そして人数的に掛持ちは出来なく
なってきたのでこの年に藤井寺への移籍を決める事となった。


(第三期)
2002年 (平成14年)
この年から藤井寺での活動が始まる。ここは市に一つしか連盟が無かったが、
その分体制はすごく充実していた。この時から今村先生、北内さんらがチームに
加わった。メンバーとしては元グリーンズの俊足兄弟、惣島大輔コンビ、山中、
増岡、竹本といったメンバーが揃っておりチームもかなり強かった時代である。
この時くじ運も良かったが大会で準優勝もした事があったころである。
余談ではあるがこの年阪神が久しぶりの優勝をした年でもあった。

2004年 (平成16年)
この年は雄二が亡くなった年である。10月13日阪神の甲子園最終日の試合を
見に行く途中に交通事故にあった年である。あまりにも突然だったのでこの時は
どうしていいか本当にわからなかったときでもある。チームのメンバーの連絡先を
ほとんど知らない。連盟でどういった役をしていたかわからない。本当わからない事
だらけだったのを今も覚えている。この時雄二にチームの事を全て任せっきりに
していたと痛感した。本当に悪かったと今でも思う。この時少し前に入部した東口さんが
「がんばろう」と言って助けてくれなかったらビッキーズは解散していたと思う。この後
手探り状態でビッキーズの後を引継いでいくが、まだ先がまったく見えない状態だった。

2005年 (平成17年)
この年からビッキーズ全員での立て直しが始まる。
役に関しては東口さん、北内さんにはすごく無理を言ったと思う。
またメンバーの補強及び資金的な援助といったところでは今村先生には
すごく助けてもらったと思う。この頃のメンバーとしては
岩村、古川、森、小西、岩見、松岡といったメンバーが入った頃であった。

2006年 (平成18年)
この年は少しビッキーズが落ち着いてきた頃である。またチームにスポンサーとして
今村整骨院がついてくれてユニホームにロゴを入れたのもこの頃である。
裏方では雄二の妹さんの里香ちゃんにグランド取りの抽選会に
行ってもらったりもした時でもある。しかし連盟の役をするのはかなり大変で
他の連盟への移籍を考え始めたりもしていた。そして候補として羽曳野が
上がってきており参照がてらに大会にも出たりしていた。


(第四期)
2007年 (平成19年)
この年から羽曳野に拠点を移し代表を東口さんにして活動を始める。
メンバーとしては中垣、坂下、山崎、武田、窪田といったメンバーが入った年である。


当時の記憶、
雄二の思い出として湯川佐代子へ捧ぐ。

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